映画プラットフォームは、少しグロい表現が使われているサスペンス映画で、生き残るための争いや人間関係がメインの映画です。
しかし映画を見たあとで、
え?つまりどういうことだったの?
ちょっと意味不明なところが多い・・・。
と思った方は多いでしょう。
細かいことはあまり語られない映画なので、
ただ普通に見たら意味がわからない。
しかし、映画で伝えたいこと、何を表現して作られたのかを知ると、
『あぁー!そういうことだったのね!』
と納得がいき、
さらに面白く映画を知ることができます。
そこで、この記事では
映画プラットフォームが表現している内容を解説します。
映画プラットフォームの内容の意味を解説
謎が多い映画プラットフォームの内容は
どういうことなのかと言うと、
現代の格差社会の縮図
これを表現した映画になっています。
普通に見てたら謎が多い映画ですが、
このテーマを基盤に話が展開されていきます。
映画の冒頭で、
3種類の人間がいる。
『上にいる者』
『下にいる者』
『落ちる者』
というセリフが入ったのは、
格差社会の構造のことを指しています。
映画の内容の詳しい解説
プラットフォームの構造とルール
※細かいルールはここでは省いて説明していきます。
1つの塔のような建物へ入れられた複数の人たち。
その建物はフロアの中心がくり抜かれ、
上層の1層〜最下層333層にまで続く構造になっています。
1フロアには2人1組。
毎日上の1層から順に、
ごちそうが山盛りになった台がエレベーターのように送られてくるシステム。
食べ物が送られてきてから、ある程度時間が経つと次の階層へとその食べ物が送られていきます。
時間内であれば何を食べてもいい。
自分たちの番であれば
どれだけ食い散らかそうと汚そうと関係ありません。
その食べ物は下の層の人たちへと引き継がれるので、
下の階層へ行くほどどんどん食べ物は食い散らかされていき、当然ながら量も減っていきます。
この設定が格差社会を表現している
この構造がなぜ格差社会を表現しているのかというと、
富を持つ者はあり余るほど持ち、
富を持たない者は取り分がなく、苦しみもがく。
ということです。
富を持つ側の人たちは、
『そこまで必要ないだろ』
と言えるほど富を余分に持ちます。
現代社会での"富"というのはつまりお金です。
この、あり余るほどの富を自分より富を持たない人たちへ平等に分ければ、
極端な格差社会は起こらないはずなんです。
下には行けるが、上には行くことができない
プラットフォームの構造ではフロアの真ん中がくり抜かれていて、各層で7〜8メートルほどの高さがあります。
なので飛び降りて下に行ったり、料理が運ばれてくる台に自分も乗って下に行くことは可能です。
でも、上に行く手段は無い。
この構造は、
下に行くことはいつでもできるけど、
簡単に上に行って成り上がることはできない。
という、格差社会の仕組みともマッチしています。
冒頭でも言ったセリフの、
3種類の人間がいる。
『上にいる者』
『下にいる者』
『落ちる者』
の中で、
『上に行く者』というところが無いというのはそういう意味です。
自分が得ている心地よい環境は他人には渡さない
映画の中で言う
『自分の必要な分だけ食べれば全員に食べ物が行き届く』
という願いは、
"持たざる者"、下層にいる人たちの声でしかないです。
つまり、
上層の人は下層の人のことなど無視して、『自分が良ければそれでいい』と思うということ。
逆に下層にいる恵まれない環境にいる人たちは上層にいるオイシイ思いをしている人たちに対して文句を言い、妬みます。
その格差社会の現状を表現しているのが、映画のプラットフォームになります。
もしも自分だけが1億円を持っていたら
ここで少し考えてみてください。
例えばあなたが1人だけ1億円持ってたとします。
そこで他人であり、お金がない他の1万人の人に
お前だけ独り占めしてズルいぞ!
みんなに平等に配れ!
なんて言われたとしたら、
え、やだな。
と思うでしょう。
だって、1億円を1万人の人に平等に分け与えたら、自分のお金がたった1万円になるんですよ。
せっかく自分が不自由なく美味しい思いができる環境にいるのに、
わざわざ見ず知らずの人に自分の財産分け与え、
今ある良い環境を手放すことをする人はほぼいないでしょう。
上層と下層の立場が逆転しても同じ行動をとる
映画プラットフォームでは、
1ヶ月ごとに今いる階層がランダムで変わる
というシステムです。
なので、
上層になる時もあれば、かなり下の層になるときもあります。
もともと上層にいた人たちであっても次の月で100層クラスの下層に行ったならば、
その時はまた自分より上層にいる人間に文句を言ったり、暴言を吐く。
下層の悲惨さを経験した者であっても、
自分より下にいる人たちへの配慮はしません。
いま自分が勝ち組なんだから、この恵まれた環境を自分だけで味わうべきだ。
と。
自分には関係ない。
他人がどうなろうとどうでもいい。
自分が上層にいようが下層にいようが、
自分より上の者には文句を言い、
自分より下の者は見下し、見て見ぬふり。
こういった醜い人間の部分が映画で表現されています。
会社に勤めるサラリーマンにも同じような格差現象や争いが起こる
身近に起こる現象で言えばサラリーマンでも同じような現象が起こります。
では映画の中での
料理を提供する側は社長とします。
1層〜10層あたりまでは経営陣。
11層からは管理職。
…のように、上層部ほどおいしい思いをする。
逆に下層に行くほど給料は低く、過酷な環境になっていく。
社長(料理を提供する側)は全ての会社の仕組みを仕切っているので、自分のやり方を変える気はありません。
会社で働く従業員(下層の人たち)は、根本的な仕組みやルールに文句を言いながらも従うしかない。
しかし、
給料上げろー!
もっと待遇良くしろー!
とか言ってもまず聞き入れてもらえない。
労働組合などで必死に思いを訴えたとしても、社長はそういった下層の者たちの意見などガン無視。
そんな環境の中でも、従業員のような下層の者たちの中でのみ通用する、小さなルールを作り出します。
- 役職付きの方が偉い。
- 社歴が長い方が偉い。
- 年上の方が偉い。
などのように。
これは上位10層ほどのトップクラスに上にいる人たちから見ればどうでもいいことであって、
下層の人間同士にのみに厳しく定められる小さなルール。
11層付近の管理職レベルにあたる人たちはというと、与えられている待遇と環境にそこそこ満足しているので下層の者たちほど文句は言いません。
自分たちより下にいる者たちを見下し、今いる環境で黙って過ごす。
・・・どうでしょう?
『会社』という、サラリーマンの関係性と映画プラットフォームの環境は、非常よく似ています。
基本的にワーワー騒ぐのは、力がなく何も変えることができない下層の人たち。(従業員)
たまに誰かが反抗しても、そんなん知らんとばかりにシカトを決め込む上層部。
大きな変化は起こらず継続されるルール。
でもまぁ、実際は会社というのは従業員がいなければ成り立たないので、
あまりにもひどい待遇をすると従業員が辞めてしまって崩壊してしまいます。
なので、最低限の改善はやっています。
中には革命家のような人物も現れる
この"革命家"として行動を起こしたのは、主人公のゴレンですね。
202層という残酷な階層も経験したゴレンは、次第に
『この残酷な格差がある"穴"のシステムを変えたい』
と思うようになりました。
後に階層入れ替えの時に6層に配置されます。
この階層は送られてくる食料には不自由はなく、いわゆる"勝ち組"の階層です。
自分だけのことを考えれば自分が満足いく分を食べればいいんですが、ゴレンは
自分の必要な分だけ食べて分け合え。
ということを下の階層の者たちに伝え、"穴"のメカニズムを根本的に変えるため、同室の人と一緒に武器を持って台に乗り、最下層まで向かいます。
こういった、『自分を犠牲にして他人のために戦う』という行動は、まさに革命家です。
ゴレンは身勝手に好きなだけ食べ物を食べようとする人を脅しながら、どんどん下の層に降りていきます。
0層の者に反逆の意思を伝えることに計画を変更
0層。
つまり、この"穴"のシステムを牛耳る人のことです。
"穴"の仕組み上、上に行くことは不可能なので、
システムを構築している側の人間に、穴に入っている者の反逆の意思を伝えよう。
とすることに計画を変更します。
そのやり方は、
普通なら全て無くなるはずの食料の中に、何も手を付けていない食料を残して0層に送る
というもの。
食事が乗った台は、最下層に行った後に最上層に戻る性質があるので、それを利用した計画です。
残すことを選んだのは、パンナコッタ。
しかしそれを完遂するには、
- 食べ物を最下層まで守らねばならない
- 自分たちが襲われる
- 命を落とすかもしれない
という、大きなリスクがあります。
映画のこういった描写は、現実世界にもいるということ。
格差社会の世界にも、根本的にシステムを変えようと奮起して立ち向かってくる人も出てくる
ということですね。
届かない反逆の意思
食べ物を残すという『反逆の意思』は、穴の中にいる革命を起こそうとする者の考え。
しかし、それは0層の者からしたら何のことか分からない。
映画の中で最終的に反逆のメッセージとして残すことを決めたパンナコッタは最下層333層にいた子どもに与え、
子どもを台に乗せて最上層に戻すということになりましたが、
最上層の人にとって急に子どもが乗った台が戻ってきたり、
手つかずのパンナコッタが残って戻ってきたところで意味がわからないし、
『これは反逆の意思だ』という考えにたどり着くか?
というと、かなり望み薄。
穴の中にいる人が命をかけてでも訴えかけた『反逆の意思』は、一番上の人に届くことはほぼ無いんです。
- パンナコッタが残って戻ってきた
- 子どもが台に乗って戻ってきた
という現象が起こったところで、最上層の者たちが危険にさらされたりするわけではないので、
仮に反逆の意思に気づいたとしても根本的な仕組みは変わらず、同じことが繰り返されるでしょう。
こういった現象は現実の格差社会では、
トップ層にいる者たちは
下の者の惨状が見えないし、
声も届かない。
ということを表しています。
下の者がどれだけひもじい思いをして必死に訴えかけても、トップ層にいる人たちに声は届かないということですね。
現代では事実上のトップ層である政治家なんか見るとよく分かりますよね。
過去に政治家の発言で、
- 子育てなどできて当たり前。
- カップラーメンは安くなった。500円くらいか。
- 中小企業の5人や10人の破産、自◯はやむを得ない。
なんてことを言った人もいます。
こういった発言を見れば分かるとおり、
トップ層の人間は下の下で苦しむ人間のことなど考えていない。
ということが垣間見えます。
予想以上に深かった、穴
ゴレンは食料を守るために傷つき、満身創痍で下層に降りていきますが、
ゴレンが予想していた最下層の250層よりもさらに深く台は降りていき、最終的に333層まで台は到達します。
その下の下の階層では、もう争いどころか、生きている人すらいるか怪しい状態です。
台の上に乗ってくる食べ物はパッと見たくさんあるように感じますが、
333層(666人)で平等に分け合おうとすれば、1人あたりが食べられる量はかなり少なくなります。
ということは、全員が満足できないという状況になるんです。
だから、自分が満足するために暴走する人も出てくるのも納得できます。
最下層レベルの状況は伝わりにくい
下層に配属された人は食べるものがほぼ無いので、かなりの数の死人が出る。
つまり、1度でも最下層に近いところに配属された人はほぼ生き残らないので、
最下層レベルの悲惨な状況を誰にも伝えられないままになります。
生き残ろうとするだけで精一杯なので、
革命を起こそうとか、根本的に変えてやろうとか、そういう気にすらなれないでしょう。
上に状況を伝えようにも自分より少し上の人たちもほぼ全滅しているので、当然ながら苦しみの声は伝わりません。
映画プラットフォームで伝えたかったことまとめ
映画プラットフォームが表していることは、
現代の極端な格差社会の縮図を、分かりやすく食べ物と穴の階層によってうまく表現しているものです。
穴の中で起こる現象は現実世界でもほぼ同じであり、
- 下に行くことは簡単だが、上に行くことは非常に難しい。
- 上にいる者は下の者のことは見捨てる。
- 自分の恵まれた環境は手放さない。
- 中には革命を起こそうと立ち上がる者もいる。
- システムを牛耳る者に、仕組みの中にいる人間が騒いでも根本的な仕組みは変わらない。
映画ではこういった噛み砕いたことは詳しく語られず終わってしまいますが、
個人的には非常によくできた映画だなと思いました。
この映画が『格差社会の縮図』ということを知った上で、もう1度映画を見返してみるのもまた面白いですよ!