海に眠るダイヤモンドでは、炭鉱全盛期での話が主体となっていますが、
炭鉱が始まってから初期の頃は生活が不便で、島の人たちが工夫をしながら生活していました。
一方で炭鉱夫の収入については、海に眠るダイヤモンドではあまり触れられていません。
そこでこの記事では、軍艦島で炭鉱夫として働くひとたちの収入、
軍艦島での生活スタイルはどのようなものだったのかを詳しく解説していきます。
軍艦島の炭鉱夫の収入はバグっていた
軍艦島で炭鉱夫として働く人の給料は、
新卒の給料の約4倍
+
危険手当
となっていて、かなりの高収入だったそうです。
現代で新卒の給料が20万円だったとすると、給料80万円+危険手当という収入のヤバさ。
エリート企業に勤める人レベルの収入が、軍艦島の炭鉱夫にさえなれば得られたんです。
福利厚生も手厚かった
ただでさえ給料がいいのに加えて、さらに炭鉱採掘の事業の元締めの三菱からの福利厚生も充実していました。
三菱が炭鉱夫の住居の家賃も負担してくれていたため、
タダで住みながら圧倒的な給料をもらっていたんですね。
- 給料4倍
- 家賃タダ
このように超高待遇だったため、家族で1人でも炭鉱夫で稼いでいれば、余裕で家族全員の生活費が賄えていけました。
なので、軍艦島で働いて稼ぎながら生活しようとする人が多くなり、
軍艦島の人口密度が当時では世界一と言われるほどになったというわけです。
炭鉱夫の仕事現場は過酷を極めた
軍艦島で働く炭鉱夫の収入や待遇は今では考えられないほど高水準でしたが、仕事の環境はかなり過酷でした。
- 高気温・高湿度
- 常に危険と隣り合わせ
- 後遺症も出る可能性がある
主にこれらが過酷となる要因。
1つずつ見ていきましょう。
高気温・高湿度
海に眠るダイヤモンドのドラマ内でも語られていましたが、
現場の環境は気温35度、湿度80%以上。
炭鉱夫をやるなら、この過酷な環境に長時間耐えられる体力が必要です。
常に危険と隣り合わせ
炭鉱夫が石炭を掘る現場は、海の底の更に下。
地上から遠いところまで行って作業するので、もし現場で怪我をしても手当できる環境はありません。
途中で体調不良になったとしても地上には簡単には帰れない。
もし1人で帰ろうとして途中で倒れてしまったものなら、しばらく放置状態に。
落盤の危険もあるので、炭鉱夫は命の危険がある仕事でした。
肺に後遺症も出る可能性がある
炭鉱夫の仕事は石炭を掘る仕事のため、現場では粉塵が舞っています。
作業者はその粉塵を吸い続けることになるので、肺がやられる可能性がある。
長く炭鉱夫をやればやるほど肺に負担をかけることになり、
炭鉱夫を引退したとしても後で病気になる可能性がありました。
『カイジ』を見たことがある人なら分かると思いますが、
あの地下労働と似てますね。
炭鉱が始まった初期のころの軍艦島での生活
ここからは軍艦島で炭鉱が本格的に始まってから初期の頃、どういった生活だったのかを紹介していきます。
軍艦島の生活に欠かせなかった食料事情とは?
軍艦島での生活において、食料は本土からの供給に大きく依存していました。
軍艦島は周囲を海に囲まれた小さな島で、農地はなく、食材を島内で自給することは困難でした。
そのため、日々の生活に必要な食料品は船で本土から運ばれ、島内で販売されていました。
住民たちは工夫を凝らしながら、限られた食材で日々の食事を楽しむ努力をしていました。
まだ軍艦島の家庭に冷蔵庫のような食料を保存する設備がなかった時に、は家庭ごとに保存食を作り、食材を無駄なく使う知恵も必要とされていました。
島全体が限られた資源の中で暮らしていたため、物資をシェアする文化も根付いていました。
物資の安定供給が難しかったので、住民同士の協力が不可欠だったのです。
軍艦島での生活は単なる物資の確保以上に、人々が共に助け合い、食べ物を大切にする暮らしでもあったと言えるでしょう。
行商人は儲かった
軍艦島での食料はほぼ全てが本土から来た行商人から買うことになったので、どんどん売れました。
特に軍艦島では植物を育てていなく、野菜を手に入れる手段が行商人から買うしかありませんでした。
軍艦島に商品を持ち込んで販売すれば、高いものでも売れる。
むしろ、『高いものから売れた』というくらい。
炭鉱夫の給料が良かったこともあって、島民はお金には困っていなかったようですね。
軍艦島の生活を支えたライフラインの工夫
軍艦島での生活を支えるライフラインは、島全体の生活基盤を支える重要な要素でした。
島は海に囲まれているので、特に水は限られた資源であり、住民の暮らしに大きな影響を与えていました。
水の供給は本土からの輸送に頼ることが多く、日常生活の中で節水の意識が強かった。
住民はできる限り水を大切に使う工夫をし、水の確保が難しい場合には雨水を溜めて生活に利用したり、海水を蒸留して使っていました。
電気については島内に発電設備が設けられており、
鉱山での作業や生活に必要な電力を確保するために、限られた電力資源を効率的に使用することが求められました。
このような厳しい環境下で、住民たちは電気の使用を最小限に抑えつつ、生活を快適に維持する方法を常に模索していました。
軍艦島でのライフラインは、住民の協力と知恵によって支えられていたのです。
軍艦島の生活での住民同士の絆と助け合い
軍艦島では、限られた空間と資源の中で暮らすことから、住民同士の絆が強く結ばれていました。
仕事や生活の場が密接に関わっていたため、自然と協力や助け合いが生まれていました。
家族や近隣住民が助け合い、特に生活物資が不足しがちな時には、互いに物資を分け合う文化がありました。
『家で1人でぼっち生活したい!』というのはなかなか難しいですね。
また、子供たちは狭い島内で一緒に遊びながら成長し、大人たちは一緒にイベントを楽しんだり、困っている人に手を差し伸べる姿が日常的に見られました。
こうした住民の協力関係は、外界から隔離された軍艦島での生活を支える重要な基盤となっていたのです。
厳しい環境の中で育まれた絆は、現代にも語り継がれています。
軍艦島の生活に見る狭い空間での暮らし方
軍艦島は当時、人口密度が世界一で、狭い土地に多数の住民が暮らしていたため、居住空間は非常に限られていました。
高層住宅に多くの家族が詰め込まれる形で生活していたため、部屋の広さやプライバシーが制限されることが常でした。
そのため、住民たちは生活空間を最大限に活用し、狭いながらも快適に暮らすための工夫をしていました。
家族全員が一つの小さな部屋に住む場合が多かったため、家具の配置や収納方法に気を使い、効率的な空間の利用が重要視されていました。
また、隣同士の距離が近いことから、音や匂いなどにも配慮し、互いに快適に暮らせるような生活スタイルが求められていたのです。
軍艦島での娯楽や余暇の楽しみ方
軍艦島の住民たちは、過酷な生活の中でも娯楽や余暇を楽しむ工夫をしていました。
映画の上映や運動会などのイベントが定期的に開催され、住民たちは楽しみながらコミュニティの絆を深めていました。
また、島内には公園や集会所が設けられており、住民が集まって話をしたり、子供たちが遊ぶ場所として利用されていました。
島内には娯楽施設が少なかったため、住民たちは限られた資源や空間を使って、共に楽しむ方法を見つけ出していました。
例えば、家族や友人同士で手作りのゲームや遊びを考え、日常の生活に彩りを加えていました。
後に設備の強化により生活しやすくなった
電気は送電で解決
最初は軍艦島の発電所から電気を得ていましたが、
後に高島炭鉱の発電所からの送電海底電線ケーブルの敷設によって送電がはじまります。
そして発電所から変電所へと変わり、その後は軍艦島の全ての電力は高島からの送電でまかなわれることになりました。
水問題は海底パイプによって解決
水は本土から船によって軍艦島に運ばれてきていましたが、
後に本土と軍艦島をつなぐ海底パイプの完成によって生活水の問題は解決しました。
家電3種の神器の導入
家電3種の神器は、
- テレビ
- 洗濯機
- 冷蔵庫
この3つ。
これらの家電は当時ではそれぞれ1ヶ月の給料に匹敵するほど高額だったため、簡単には手に入らないものでした。
しかし軍艦島では、この3種の家電の普及率が本土よりも高かったようです。
これらの家電に加えて、写真機も家庭で持っている人がたくさんいました。
これは炭鉱夫の給料が一般よりも高水準だったことと、
これらの家電がないと軍艦島での生活がかなり不便だったからです。
テレビはというと、普及率が本土ではまだ8%でしたが、軍艦島ではほぼ100%。
みんなテレビを欲しがったのは、島に娯楽が少なかったからでしょう。
軍艦島はなぜ閉鎖されたのか
※画像はイメージです。
軍艦島で採れていたのは石炭だったんですが、
時代の流れとともに使用されるメインの資源が石炭から石油に変わったので、
石炭を採掘する需要がなくなり、事業も撤退することになりました。
それと同時に軍艦島に住んでいた人も島から出ることになり、無人島となります。
まとめ
海に眠るダイヤモンドに登場する、端島(軍艦島)での当時の生活のまとめです。
- 炭鉱夫の収入は当時の新卒の約4倍+危険手当+家賃ほぼタダ。
- 炭鉱開始の初期の頃は食料や水の供給や管理が厳しい状態だった。
- 生活するため島民で協力し合って生活していた。
- 後に水や電気のライフラインは設備の強化により解決。
- 娯楽は少なかった。
- 3種の神器である家電が登場したら普及率はトップクラスだった。
- 軍艦島が閉鎖した理由はメイン資源が石炭→石油に移行したため。
当時は人もたくさんいて、商売人は儲かった。
軍艦島は大都会だったようですね。
参考:
president online
〜世界遺産を巡る〜軍艦島ガイド