映画『雪の花 -ともに在りて-』は、江戸時代末期に天然痘(疱瘡)の予防法である種痘を命がけで福井に持ち帰り、
多くの命を救った実在の蘭方医・笠原良策さんを描いた作品です。
この記事では、
- 実在のモデル・笠原良策さんのプロフィール
- 種痘普及までの実際の歴史
- 映画と実話の違い(脚色部分)
- 原作小説と笠原さんのその後
こちらを解説していきます。
『雪の花 -ともに在りて-』は実話を元ネタにした作品
結論から言うと、『雪の花 -ともに在りて-』は実話を元ネタにした作品です。
主人公の笠原良策(かさはら りょうさく)は実在の人物で、吉村昭さんの歴史小説『雪の花』(新潮文庫)が原作となっています。
吉村昭さんは現場・証言・史料を丹念に取材することで知られる歴史文学の書き手で、この作品も実際の史料に基づいて書かれました。
映画は2025年1月24日に公開され、『博士の愛した数式』などで知られる小泉堯史さんが監督を務めています。
- 松坂桃李さん→笠原良策 役
- 芳根京子→妻・千穂 役
- 役所広司さん→良策の師・日野鼎哉(ひの ていや)役
を演じています。
笠原良策さんとは何者だったのか
ここでは、映画の実在モデルである笠原良策さんのプロフィールをまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 笠原良策(かさはら りょうさく) |
| 別号 | 白翁(はくおう) |
| 生年 | 1809年(文化6年) |
| 出身地 | 越前国足羽郡深見村(現・福井市) |
| 職業 | 福井藩の蘭方医(町医者) |
| 師 | 日野鼎哉(京都の蘭方医) |
| 没年 | 1880年(明治13年) |
笠原良策さんは江戸時代末期の福井藩で蘭学(オランダ医学)を学んだ医師で、
天然痘のワクチン(種痘)を福井に初めて持ち込んだ人物です。
その功績は現代にも語り継がれており、現在も福井には妻・千穂さんとともに夫妻の墓が残っています。
『雪の花 -ともに在りて-』のモデル・笠原良策さんの実話を時系列で解説
江戸時代の天然痘の恐怖
江戸時代、天然痘(疱瘡)は数年ごとに大流行を繰り返す恐ろしい疫病でした。
有効な予防法がなく、人々は「疱瘡神」という神様に祈るほかなかったのです。
生き残った者も顔に痘痕(あばた)が残り、特に幼い子どもが多く犠牲になりました。
1846年(弘化3年):最初の申請と却下
笠原良策さんは蘭学を通じて、西洋で普及していた「種痘(牛痘法)」の存在を知ります。
牛痘ウイルスを人体に接種することで天然痘を予防できるこの方法を、なんとか福井に導入しようと考えたのです。
笠原さんは藩主・松平春嶽に対して清国からの牛痘苗輸入を申請しましたが、
長崎奉行から「航海中に痘苗が変性する」という理由で却下されました。
1848年(嘉永元年)に行った2回目の申請も、再び却下に終わっています。
1849年6月(嘉永2年):種痘苗がついに長崎へ到着
1849年6月26日、オランダ船がバタヴィア(現・ジャカルタ)から長崎出島に、根付いた牛痘苗をもたらします。
8月28日には、長崎奉行所の唐通事(通訳)・穎川四郎八さんが孫2人に種痘を受けさせ、できたかさぶた(痘痂)8粒を採取することに成功しました。
1849年9月:師・日野鼎哉さんが痘苗を受け取る
9月6日、穎川四郎八さんが痘痂を師の日野鼎哉さん(京都)へ発送しました。
しかし9月19日に日野さんが受け取ったとき、8粒のうち7粒はすでに効力を失っていたのです。
残り1粒を同僚医師の子どもに接種したところ、奇跡的にかさぶたが形成され、活着に成功しました。
知らせを受けた笠原さんは9月晦日に福井城下を出発し、京都へ向かいます。
10月5日に笠原さんが京都の日野宅に到着し、ついに種痘苗を受け取ることができました。
1849年11月:豪雪の峠を越えて福井へ
11月25日、笠原さんは豪雪の栃ノ木峠を越えて、種痘苗を福井へ持ち帰りました。
そして同日、自宅隣に設けた「仮除痘館」で種痘を開始します。
命がけで峠を越えて持ち帰ったこのエピソードが、映画タイトル「雪の花」の元にあるものです。
種痘の普及と民衆の抵抗
笠原さんは藩内の医師たちに種痘の技術を指導し、接種後の経過を詳細に観察・記録していきました。
ただ、普及の道のりは決して楽ではありませんでした。
「牛の病気を人に打つなんて」という強い抵抗・偏見が民衆の間にあり、
笠原さんは理解を得るために奔走し続けたのです。
それでも笠原さんは種痘の普及をあきらめず、
福井城下から周辺地域、
さらに北陸の近隣諸藩(府中・鯖江・大野・敦賀・大聖寺・金沢・富山)へと広めていきました。
1851年(嘉永4年)には藩営「除痘館」の開設を支援し、
1872年(明治5年)には文部省の種痘免許を取得しています。
笠原さんの取り組みにより、福井藩内の天然痘による死亡者は大幅に減少しました。
映画『雪の花 -ともに在りて-』と実話の違い
映画では一部に脚色が加えられています。
実話に忠実な部分と、映画オリジナルの部分を整理しておきましょう。
| 項目 | 映画での描写 | 実際の事実 |
|---|---|---|
| 妻・千穂 | 夫を支える活動的な女性として登場、武道が得意という設定あり | 実在するが史料にほぼ記録がない |
| はつ(三木理紗子) | 疱瘡から生き残った女性として登場 | 史料にない映画オリジナルキャラクター |
| お愛(新井美羽) | 日野鼎哉の娘として登場し種痘成功場面に関与 | 史料にない映画オリジナルキャラクター |
| アクションシーン | 千穂が武道の達人として戦うシーンあり | 史実に根拠なし |
| 笠原良策の取り組み | 史実通りに描かれている | 史実通り |
| 栃ノ木峠越え | 映画の見せ場として描かれる | 史実通り |
| 日野鼎哉・穎川四郎八 | 実在人物をベースに描かれる | 史実通り |
妻・千穂の描き方は大きく膨らまされている
映画での最大の改変は、女性キャラクターの描き方が大幅に拡張されている点です。
吉村昭さんの原作小説は
「史料にないことはフィクションとして描かない」
という姿勢で書かれており、女性がほとんど登場しません。
妻の千穂さんは実在した人物ですが、史料にはほぼ記録が残っていないのです。
映画では芳根京子さんが演じる千穂を、夫を積極的に支える活動的な女性として描き、
武道の達人という設定や武道シーンも加えています。
これは純粋な映画オリジナルの脚色で、史実には根拠がありません。
「はつ」と「お愛」は映画オリジナルのキャラクター
疱瘡から生き残った女性
- 「はつ」(三木理紗子さん)
- 日野鼎哉の娘「お愛」(新井美羽さん)
この2人も、映画オリジナルのキャラクターです。
どちらも史料には登場しない人物で、映画の物語を分かりやすくするために作られました。
史実に忠実な部分も多い
笠原良策さんの種痘普及への取り組みや苦労、民衆の抵抗、栃ノ木峠越えのエピソードなどは史実通りです。
日野鼎哉さんや穎川四郎八さんなど実在の人物も、実際の歴史に基づいて描かれています。
脚色があるのは主に女性キャラクターの描写とアクション要素で、物語の核心部分は史実に忠実になっています。
原作小説『雪の花』について
映画の原作は吉村昭さんの小説『雪の花』(新潮文庫)です。
1971年に子ども向け小説『めっちゃ医者伝』として刊行されたのが始まりで、
1988年に大人向けに加筆修正・タイトルを改変して刊行されました。
コロナ禍に感染症の流行・医療不信・行政の対応といった問題が重なることから、映画公開前後に改めて注目が集まったのです。
史実を丁寧に追う吉村昭さんの作風もあり、原作小説は映画よりもさらに史実寄りの内容となっています。
笠原良策さんのその後
笠原良策さんは明治時代まで生き続け、1880年(明治13年)に亡くなりました。
妻の千穂さんも実在の人物で、現在も福井には夫妻の墓が残っています。
笠原さんが始めた種痘の普及活動は、福井藩の枠を超えて北陸全体に広まっていきました。
笠原さんの功績を讃える「笠原白翁の廟所」は現在も福井に残っており、
クラウドファンディングによる改修プロジェクトが行われるなど、今もその功績が受け継がれています。
まとめと人気の実話解説記事
- 『雪の花 -ともに在りて-』は実在の蘭方医・笠原良策さんをモデルにした実話ベースの作品
- 笠原さんは1849年、命がけで豪雪の栃ノ木峠を越えて種痘苗を福井へ持ち帰った
- 「牛の病気を人に打つなんて」という民衆の抵抗にも負けず、種痘を北陸全体に広めた
- 映画の最大の脚色は女性キャラクターの描き方で、妻・千穂や「はつ」「お愛」は映画オリジナルの膨らましがある
- 原作小説『雪の花』はコロナ禍に再注目されており、感染症との闘いは現代にも通じるテーマ
- 笠原さんの墓や廟所は現在も福井に残り、その功績が受け継がれている