映画『花束みたいな恋をした』は、2021年に公開された脚本家の坂元裕二さん・監督の土井裕泰さんによる恋愛映画です。
終電を逃したことで偶然出会った男女の5年間を描いた本作は、「まるで自分の話のようだ」と感じる視聴者が続出し、
公開後も伏線や結末の意味をめぐる考察がSNSで広がりました。
この記事では、
- イヤホンのLとRという伏線
- ファミレスの座席位置の変化
- 靴やネイルに込められた意味
- ラストシーンで手を振る理由
- 鈴蘭の花言葉が示すもの
- 脚本家が込めたメッセージ
こちらを解説していきます。
映画『花束みたいな恋をした』とはどんな作品か
『花束みたいな恋をした』は、東京・明大前駅で終電を逃したことから出会った大学生の山音麦と八谷絹の恋愛を描いた作品です。
趣味や感性がぴったり合う二人が同棲し、社会に出るにつれて少しずつすれ違っていく過程が、緻密な伏線とともに丁寧に描かれています。
俳優の菅田将暉さんと有村架純さんが主演し、
脚本家の坂元裕二さんはインタビューで
「お客さんのものになれた映画」
と語っています。
映画『花束みたいな恋をした』の伏線を解説
イヤホンのLとR
映画『花束みたいな恋をした』で最も重要な伏線が、
イヤホンのL(左)とR(右)の描写です。
物語は麦と絹がそれぞれの当時の恋人に
「イヤホンのLとRは聞こえている音が違う」
と話す場面から始まり、共通の感性を持つ二人の出会いへとつながります。
この伏線は物語の進行とともに意味が変化していきます。
- 出会い:感性の一致の象徴
- クリスマス:偶然お互いに贈り合う
- すれ違い後:拒絶の手段に変化
- 別れ後:未練の象徴へ
特に再会シーンでは、麦はイヤホンをつけたままで絹はつけていないという対比があります。
つまり、麦の未練と絹の前向きさが、このイヤホン一つで表現されていたと言えるでしょう。
ファミレスの座席位置
映画『花束みたいな恋をした』では、ファミレスでのシーンが伏線として機能しています。
物語を通じて、画面の左側に麦・右側に絹という構図が繰り返されています。
しかし二人が別れを胸に決めて入った最後のファミレスのシーンでは、
初めて左に絹・右に麦という逆転した構図になります。
この座席位置の逆転は、二人の関係の違和感と破綻を視覚的に示している伏線です。
その後カメラ位置を変えて元の配置に戻すことで、
もし二人が結婚していた場合の姿を観客に想像させる演出
となっています。
靴の変化
出会った頃の麦と絹はお揃いの白いコンバースを履いていました。
時が経つにつれて二人はそれぞれ別の靴を履くようになり、
同じ道を歩まなくなった変化が靴によって表現されています。
じゃんけん
物語冒頭で二人は「パーがグーに勝つ理屈が分からない」と意気投合していました。
しかし別れ際に猫の引き取りを決めるじゃんけんで、麦はパーを出して勝ち、「だって大人だもーん」と言い放ちます。
かつて二人が共有していた純粋な感覚が、社会という現実に染まって変質してしまったことを決定づけた、重要な伏線回収です。
その他の重要な伏線
絹のネイルカラーも関係の変化を示す伏線として機能しています。
- 出会いたての頃:黄色
- 付き合って順調の頃:青
- 別れが近い頃:赤
また、麦が絵日記をつけなくなるタイミングとすれ違いの始まりが重なっており、
「描けなくなること」が関係の冷え込みを暗示しています。
水が別れの象徴として繰り返し登場するのも見どころの一つです。
『花束みたいな恋をした』の結末を簡単にいうと
ひと言でまとめると、麦と絹は別々の道を選び、5年間の恋を静かに終わらせます。
麦は社会に出て仕事中心の生活になり、絹は変わらず趣味を大切にしたいという思いを持ち続けます。
二人の間に積もったすれ違いは修復できないほどに深まり、最後のファミレスで静かに別れを決めます。
その後2020年に偶然同じカフェで再会した二人は、互いに声もかけず、それぞれ別の相手と店を出ていきます。
『花束みたいな恋をした』ラストの意味を考察
ラストシーンで最も印象的なのが、二人が背中を向けたまま手を振るシーンです。
互いに振り返らないままだったため、このエールは相手には届かず、
それぞれが自分の中で「一つの恋に区切りをつけた」だけになりました。
麦はストリートビューで絹と過ごした調布駅周辺を検索すると、
そこにはかつての二人の姿が写り込んでいました。
これは、かつての恋が二人にとって「大切な宝物」として心に刻まれていることを示しています。
また、ラストシーンに映る鈴蘭の花には注目すべき意味があります。
鈴蘭の花言葉は「再び幸せが訪れる」で、これが
- 別々の道での新しい幸せを指すのか
- 将来の復縁の可能性を示すのか
これらの解釈で分かれています。
観る人によって印象が大きく変わる、オープンな結末になっていました。
タイトル「花束みたいな恋をした」の意味
タイトルには「花束」という言葉が込められています。
- 美しいが時間が経つと枯れてしまうという恋愛の儚さを表している
- 花束は贈り物であり、二人の恋そのものが互いへの贈り物だったという意味を持つ
- 「未熟さそのもの」を花束になぞらえているという解釈もある
つまり「花束みたいな恋」とは、
美しくも儚く、やがて枯れていくことが避けられない恋愛の象徴
だと考えられます。
『花束みたいな恋をした』が伝えたメッセージ
趣味と生活、どちらを選ぶかという問い
映画『花束みたいな恋をした』は、
- 好きなものを大切にしながら生きること
- 社会の中で責任を持って自立すること
この間で揺れる若者の姿を描いています。
麦のように社会に適応していく選択も、絹のように自分の感性を守り続ける選択も、どちらが正解かを本作は示しません。
観る人それぞれの立場によって、どちらに共感するかが変わる作品です。
脚本家・坂元裕二さんの意図
脚本家の坂元裕二さんはインタビューで
「皆さん解釈がそれぞれ違っていて、
自分と照らし合わせる方もいれば、
一歩引いて観る方もいる」
と述べています。
俳優の菅田将暉さんは坂元裕二さんを「あるあるの天才」と呼び、
誰もが「自分の物語だ」と感じる作品になったと語っています。
坂元裕二さんは恋愛を書く際、起承転結のわかりやすい部分ではなく、
それ以外の部分で勝負していると公言しており、
映画『花束みたいな恋をした』はまさにその姿勢が凝縮された作品だと言えるでしょう。
まとめと人気の考察解説記事
- 『花束みたいな恋をした』は、感性が一致した二人の5年間の恋を描いた作品である
- イヤホンのLとRは、出会いから別れまでの関係性の変化を一貫して象徴している
- ファミレスの座席位置の逆転は、関係の破綻を視覚的に示した伏線だった
- ラストの手を振るシーンは、互いへのエールが届かないまま終わる恋愛の儚さを表している
- 鈴蘭の花言葉「再び幸せが訪れる」は、それぞれの新しい幸せか復縁かという解釈が分かれている
- 脚本家の坂元裕二さんは、観た人それぞれが自分の物語として受け取れる作品を意図している