山中瑶子監督の映画『ナミビアの砂漠』(2024年)は、第77回カンヌ国際映画祭・国際映画批評家連盟賞を受賞した話題作です。
この記事では、
- エコー写真と脱毛エステが示す伏線の意味
- 鼻ピアスと箱庭療法が意味するもの
- ラストシーンの「聴不懂」が意味すること
- 反転したハヤシの部屋の意味
- 山中瑶子監督が語った制作の意図
- カナというキャラクターのテーマ
こちらを解説していきます。
映画『ナミビアの砂漠』とはどんな映画か
『ナミビアの砂漠』は山中瑶子監督による2024年の映画作品です。
主演は河合優実さんで、第77回カンヌ国際映画祭・国際映画批評家連盟賞を受賞しています。
東京の美容脱毛サロンで働く21歳のカナが、安定した恋人ホンダから自由奔放なハヤシへと乗り換えて同棲を始めます。
しかし次第に、カナは自分自身のアイデンティティに追い詰められていきます。
映画『ナミビアの砂漠』に張られた重要な伏線
エコー写真の伏線
ハヤシの引越し荷物の段ボールからカナが発見したエコー写真は、物語の転換点となる重要な伏線です。
エコー写真はハヤシが元交際相手との間に子供を作っていた事実を示すものであり、
これを発見したことが二人の関係悪化の大きなきっかけとなります。
カナが激昂した理由には、過去に自身も似た境遇(中絶経験)があった可能性があり、
無責任な男性に対する怒りが重なっていると考えられます。
劇中の「何も覚悟していない!」というセリフは、ハヤシのみならず過去の自分や関係者に向けた言葉とも解釈できます。
脱毛エステの伏線
カナの職業である脱毛エステは、物語の全体的なテーマを意味する重要なものになります。
「抜いても抜いても生えてくる、消しても消しても生まれてくる」
というムダ毛の性質が、カナの苦悩や問題の循環性と重なり合っています。
一時的に解決しても繰り返し同じ問題が生じてくるというカナの人生パターンそのものを、脱毛という仕事が関係していると考えられます。
鼻ピアスとタトゥーの伏線
カナが鼻ピアスを開けたりタトゥーを彫ったりするシーンは、自傷的な行為としての側面があります。
特に鼻ピアスを開けた直後に鼻血が流れるシーンは、カナが生きづらさの中で自傷的行為を繰り返していることを意味しています。
ランニングマシーンの伏線
ハヤシとの喧嘩中に突然画面が引き、
「ピンク背景のランニングマシーンでお菓子片手に走りながらスマホで自分たちの喧嘩を見ている」
というシーンは、物語の構造を示す伏線です。
自分のことを他人目線で見ている自分がいる
という、カナの自己認識の特徴を表しています。
箱庭療法の伏線
カウンセラーとの箱庭療法で、カナが砂漠の真ん中に緑豊かな一本の樹木を置く演出は、カナの潜在意識を表す重要な伏線です。
カナが父親から傷つけられた経験ゆえに、強い父性を求めているという心理が読み取れます。
反転したハヤシの部屋
物語終盤、ハヤシの部屋の間取りが反転し、ベッドルームへの扉が封鎖される演出が登場します。
部屋の構造が左右で入れ替わるこの演出は、「過去へは戻れない」ということを表しています。
山中瑶子監督はこの演出について
「決定的に変わってしまったことの表現として使った」
と語っています。
【ナミビアの砂漠】の結末を簡単にいうと
結論から言うと、カナとハヤシが激しい喧嘩の後、元カレのホンダが作って冷凍していたハンバーグを二人で食べます。
その最中にカナの中国人の母親から電話がかかってきて、カナが中国語で応対します。
ハヤシが「その単語なに?」と尋ねると、カナは「わかんない」と答え、二人は笑い合います。
『ナミビアの砂漠』ラストの意味を考察
「聴不懂(ティンブードン)」という言葉
母の電話で使われた中国語「聴不懂(ティンブードン)」は「聞いてわからない」という意味です。
二人が「わからない」という状態を共有することで、言葉の優劣がなくなり、対等な立場に初めて立てた瞬間を描いているという意味があります。
山中瑶子監督はこのシーンについて
「これまで権力闘争のようなことをしていたふたりが、
最後の最後でもっと『わからない』言葉に直面することで、
やっとふたりで同じ地平に立てて終われるかなということを考えていました」
と語っています。
「わからないことを受け入れる」ラスト
このラストは、よくある成長物語のような「問題解決」ではなく、
「わからないことを受け入れる」という姿勢を肯定するものです。
カナは急に自己理解を完成させた姿ではなく、「私はまだよくわからない」という状態を抱えたままでも、
「その場から逃げずにいられるかもしれない」
という、極めて小さな変化が示されています。
互いに完全には理解できない存在であることを認めながら、「わからないまま」同じ場所に立てるようになった瞬間として読み取れます。
『ナミビアの砂漠』が伝えたメッセージ
混沌としていてもいい
山中瑶子監督は
「カナという人間が過ごすある一定の時間は、すごく無意味に見えるかもしれないけど、
別にそういう時期があってもいいし、一生それでも別にいい。
混沌としていたっていいし」
と語っています。
また、
「カナがこれからもあの調子で生きていくのも、もちろんいいと思う」
とも述べており、カナの混乱した生き方を否定するのではなく、それを肯定することが作品の姿勢です。
カナというキャラクターの意味
河合優実さんはカナについて
「おそらく外側への出方が違うだけで、カナの気持ちはとても理解できます」
と語っています。
現代を生きる若い女性の生きづらさと自己探求こそが、『ナミビアの砂漠』の最大のテーマと言えるでしょう。
まとめと人気の考察解説記事
- 映画『ナミビアの砂漠』は、自分自身に追い詰められていく21歳の女性を描いた2024年の傑作である
- 脱毛エステという仕事は、何度繰り返しても同じ問題が生じるカナの人生パターンを象徴する伏線だった
- 鼻ピアスや箱庭療法は、カナの内的な傷とアイデンティティの欠如を象徴する伏線として機能していた
- ラストの「聴不懂(ティンブードン)」は、二人が初めて同じ地平に立てた瞬間を描いている
- 監督は「混沌としていたっていいし」とカナの生き方を肯定しており、成長や解決ではなく受容の物語だった