映画『7月22日』は、2011年にノルウェーで起きた連続テロ事件と、その後の裁判・生存者の回復過程を描いた作品です。
この記事では、
- 実際に起きたノルウェー連続テロ事件の詳細
- 犯人アンネシュ・ベーリング・ブレイビクさんの背景と動機
- 映画と実話の違い
- 事件後のノルウェー社会への影響
こちらを解説していきます。
『7月22日』は実話をモデルにした作品
結論から言うと、映画『7月22日』は実話を元ネタにした作品です。
2011年7月22日にノルウェーで起きた「ノルウェー連続テロ事件」を題材にしており、
アスネ・セイエルスタッドさんの著書『私たちの一人:ノルウェーについての物語』を原作としています。
2018年にNetflixオリジナル映画として公開され、監督はポール・グリーングラスさんが務めました。
ノルウェー・アイスランド・アメリカ合衆国の合作で、製作費は2000万ドル(約30億円)とされています。
2011年ノルウェー連続テロ事件とは
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 犯人 | アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(当時32歳) |
| 被害者 | オスロ政府庁舎周辺の市民・ウトヤ島のノルウェー労働党青年部員 |
| 発生した年 | 2011年 |
| 事件の総死者数 | 77名(負傷者319名) |
| 場所 | ノルウェー・オスロ政府庁舎およびウトヤ島 |
2011年7月22日、極右思想を持つブレイビクさんが首都オスロの政府庁舎を爆破し、続いてウトヤ島のサマーキャンプ参加者に銃を乱射しました。
第二次世界大戦後のノルウェーで最悪のテロ事件として記録されています。
犯人アンネシュ・ベーリング・ブレイビクとは何者だったのか
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | アンネシュ・ベーリング・ブレイビク |
| 生年月日 | 1979年2月13日 |
| 出身地 | ノルウェー・オスロ |
| 思想 | 極右思想・反多文化主義 |
| 動機 | 「イスラムによる乗っ取りから西欧を守るため」 |
| 判決 | 2012年8月24日、禁錮21年(最高刑) |
犯人のブレイビクは1979年にオスロで生まれました。
1歳のときに両親が離婚し、母親のもとで育てられています。
1995年から2002年にかけて反移民・新保守主義政党「進歩党」に所属していましたが、
2002年に「民主主義的闘争でヨーロッパをイスラム化から救うことへの信念を失った」として離党し、
武力闘争こそが唯一の道と決意したとされています。
映画『7月22日』の実話モデル・ノルウェー連続テロ事件を時系列で解説
2002年:過激化と犯行準備の開始
ブレイビクは2002年に進歩党を脱退した後、
1518ページに及ぶマニフェスト「2083年:ヨーロッパ独立宣言」の調査・執筆を開始しました。
同時期に国際的な会社から偽の学位・卒業証書を販売し、
7カ国の銀行14口座に資金を分散して蓄積していたとされています。
文書の中では社会民主主義政治家やジャーナリスト、知識人を「ABC戦犯」としてランク分けし、
「2083年までにイスラム駆逐戦争の死者は4万5000人、負傷者は100万人以内に収めるべき」
とまで明記していました。
2009年秋:爆弾製造への具体的な移行
マニフェスト完成後、ブレイビクは「次の段階」へ移行しました。
爆発物の購入・密輸のカモフラージュとして鉱業・農業の事業計画書を作成し、爆弾製造に向けた準備を本格化させています。
2011年4月〜7月:農場での爆弾製造
2011年4月10日、ブレイビクはオスロ郊外に農場を賃借し、爆発物製造の拠点としました。
「砂糖大根農場」として偽装した農場で化学物質を集め、
2011年6月13日には調整後の爆発テストに成功しています。
2011年7月22日午後3時25分:オスロ政府庁舎爆破
犯行当日、ブレイビクは
推定約950kgのアンホ爆薬を積んだバンを政府庁舎前に駐車し、その場を離れた後に爆発させました。
爆発の影響で17階建ての首相府ビルが大破し、周辺の政府建物も損壊しています。
- 死者:8名
- 負傷者:少なくとも209名(うち12名が重傷)
爆破後、ブレイビクは警察官の制服に着替え、タクシーでウトヤ島方面へ移動しました。
2011年7月22日午後5時18分:ウトヤ島銃乱射
ウトヤ島では、ノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが開催されており、
主に14〜20代の若者約600名が参加していました。
ブレイビクは警察官の制服と偽造身分証を使い、
「オスロ爆発事件に関する重要なお知らせがある」と偽って上陸しました。
上陸後すぐに島の警備員を射殺し、参加者を呼び集めて銃乱射を開始しました。
.223口径のルガー・ミニ14半自動ライフルと9mmグロック34半自動拳銃を使用し、
約72分間にわたって無差別に射撃を続けました。
生存者の証言
生存者エイドリアン・プラコンさん(当時21歳)は後にこう証言しています。
「彼は木の陰から姿を現し、道に出てきた。
背筋を伸ばして歩き、素早く確実な足取りだったが、
逃げ惑う人々に対して何かひどく無関心なところがあった」
多くの参加者が海に飛び込んで泳いで逃げましたが、寒さと疲労で溺死した者もいたとされています。
銃乱射の被害
- 死者:69名(最年少は14歳)
- 被害者の大半が14〜20代の若者
2011年7月22日午後6時34分:逮捕
警察の特殊部隊「デルタ」がウトヤ島に到着し、ブレイビクは抵抗することなく逮捕されました。
銃を捨てて両手を上げて投降しています。
2012年8月24日:有罪判決
オスロ地方裁判所はブレイビクに禁錮21年(最高刑)の有罪判決を下しました。
裁判所は責任能力ありと認定し、検察側が求めていた精神医療施設への収容は認められませんでした。
ブレイビクは
「ノルウェーを多文化主義から守るための犯行であり、
非道ではあるが必要だった」
として無罪を主張しました。
ノルウェーには死刑制度も終身刑も存在しないため、禁錮21年が最高刑となりましたが、
「社会への脅威が継続」と判断されれば5年ごとに延長できる保安処分が付けられています。
犯人・ブレイビクのその後
2015年、犯人のブレイビクは
独房監禁が人権侵害にあたる
としてノルウェー矯正局を提訴しました。
2017年には法的改名を行い、「フィヨトルフ・ハンセン」と名乗るようになっています。
2022年1月の仮釈放審理では法廷でナチス式敬礼を繰り返しながら「暴力を放棄した」と主張しましたが、
裁判所は
「7月22日のようなテロを再び引き起こす明白な危険性がある」
として仮釈放申請を却下しています。
警察対応の問題と批判
ブレイビク自身が後に
「自分でさえ、島に上陸できるとは思っていなかった」
「警察があんなに遅いとは思わなかった」
と述べたほど、当日の警察の対応には多くの問題がありました。
主な問題点は以下の通りです。
- ノルウェー全土でヘリコプターはわずか1機で、当日はパイロット全員が夏休み中だった
- 特殊部隊「デルタ」はウトヤ島へ渡るボートが確保できず足止めされた
- 確保したゴムボートが過積載でエンジンが浸水し故障し、最終的に民間人のボートを借りた
- オスロ爆破への対応に集中し、ウトヤからの助けを求める電話対応が遅れた
2012年にノルウェー独立調査委員会が発表した「ギャーブル報告書」は、
「リソースの不足よりも指導力と情報伝達の不備の方が深刻だった」
と結論づけています。
ストルテンベルグ首相(当時)は報告書発表後の会見で
「最終的な責任は自分にある」と述べましたが、辞任は否定しました。
映画『7月22日』と実話の違い
| 項目 | 映画での描写 | 実際の事実 |
|---|---|---|
| 生存者の描写 | ビリエルという一人のキャラクターを中心に展開 | ヴィルヤル・ハンセンさんをはじめ実際には多数の生存者がいる |
| 生存者キャラクター名 | ビリエル(フィクション) | ヴィルヤル・ハンセンさんをモデルにしたキャラクター |
| 事件の事実関係 | 日時・場所・手法・被害者数は実話通り | 実際の記録に基づく |
| 裁判の経過 | 実話に基づいて描かれる | 実際の裁判記録に基づく |
| 弁護士ゲイル・リッペスタッドさん | 実在の人物として登場 | 実在の弁護士 |
生存者の体験が一人のキャラクターに集約されている
映画と実話の最も大きな違いは、多数の生存者の体験を「ビリエル」という一人のキャラクターに集約して描いている点です。
ビリエルのモデルとなったのは、5発の銃弾を受けながらも生き延びたヴィルヤル・ハンセンさんです。
ハンセンさんは
- 右目を失明
- 脳に銃弾の破片が残っている
- 親友のシモン・セボさんを亡くしている
ということを抱えながらも法廷で証言しました。
証言台でユーモアも失わず、次のように語っています。
「私はこの目を失いました。
でも、それは好都合です。
おかげであちら(ブレイビクの方向)を見なくて済む」
映画『7月22日』の監督のポール・グリーングラスさんは
「事件そのものよりも、
ノルウェーがいかにして民主主義のために戦ったかの物語だ」
と述べており、生存者を一人に集約したのはその物語的意図によるものとされています。
映画が伝えたかったこと
監督のポール・グリーングラスさんは映画制作にあたり、次のような意図があったと語っています。
- 「事件そのものよりも、ノルウェーがいかにして民主主義を守るために戦ったか」という物語を描くこと
- 数百人の生存者が法廷で理想と尊厳を持って犯人と対峙し、勝利した過程を示すこと
- 民主主義は当然のものではなく、議論し戦い続けなければならないものであるというメッセージを提示すること
事件後、ノルウェー政府と社会は
「テロには憎しみではなく、より多くの民主主義で応える」
という姿勢を示しました。
ノルウェー連続テロ事件後に起こった出来事
2015年には政府庁舎に「7/22センター」をオープンし、
犯人が実際に使用した偽造警察身分証や爆破に使われた車などを展示しています。
また皮肉なことに、事件後にノルウェー各政党の青年組織への入党者が大幅に増加したそうです。
そして事件から10年以上が経過した現在も、生存者の3分の1以上がPTSDに苦しんでいると言われています。
まとめと人気の実話解説記事
- 映画『7月22日』は2011年のノルウェー連続テロ事件を元ネタにした実話作品だった
- 犯人のブレイビクは極右思想を持ち、77名を殺害した後に禁錮21年の判決を受けている
- 映画と実話の最大の違いは、多数の生存者の体験を「ビリエル」という一人のキャラクターに集約して描いている点だった
- 当日の警察対応には多くの問題があり、独立調査委員会は指導力と情報伝達の不備を指摘した
- 犯人のブレイビクは2022年の仮釈放審理でも申請が却下され、現在も収監されていると言われている
- ノルウェー社会は事件後、「民主主義で応える」という姿勢で復興に取り組んだとされている