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【雪山の絆】実話モデルの事故の時系列解説と生存者のその後

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【雪山の絆】実話モデルの事故の時系列解説と生存者のその後 サムネ

1972年にアンデス山脈で起きたウルグアイ空軍機の墜落事故を生き延びた16名のサバイバルを描いた作品です。

この記事では、

  • 映画『雪山の絆』のモデル
  • 実際の出来事(ウルグアイ空軍機571便遭難事故)の概要
  • 実話の詳細な時系列
  • 映画と実話の主な違い
  • 生存者のその後

こちらを解説していきます。

『雪山の絆』は実話の航空事故をモデルにした作品

結論から言うと、映画『雪山の絆』は実話を元ネタにした作品です。

1972年に実際に起きたウルグアイ空軍機571便遭難事故(通称「アンデスの奇跡」)をもとにしています。

ウルグアイのジャーナリスト・作家であるパブロ・ヴィエルチさんの著書『雪山の絆』を原作とし、

監督はJ・A・バヨナさんが務め、2023年にNetflixで公開されました。

生存者や遺族が実名の使用を許可した初めての映画化作品であり、生存者たちの証言に基づいて制作されています。

生存者たちはこの映画を「これまでで最も正確で真実に近い物語の描写である」と評しています。

ウルグアイ空軍機571便遭難事故とは

項目内容
事故名ウルグアイ空軍機571便遭難事故
発生日1972年10月13日
場所アンデス山脈(標高3,660メートル、アルゼンチン側)
搭乗者45名
死亡者29名
生還者16名
遭難期間72日間

搭乗者の多くはウルグアイのステラ・マリス・カレッジのラグビーチーム「オールド・クリスチャンズ・クラブ」のメンバーとその家族・友人でした。

極限状態の中で仲間の遺体を食べるという苦渋の決断を経て、16名が72日間のサバイバルの末に生還したことから、世界中に大きな衝撃を与えた事故です。

『雪山の絆』の実話の時系列

1972年10月12日:モンテビデオを出発

ウルグアイのモンテビデオにあるカラスコ国際空港を出発しました。

しかし悪天候のため、アルゼンチンのメンドーサで一泊することになりました。

1972年10月13日:アンデス山脈に墜落

翌日の午後2時18分、メンドーサを再出発しチリのサンティアゴへ向かいました。

副操縦士のダンテ・ラグララさんが機体の位置を誤認し、山岳地帯の上空にもかかわらず降下を開始しました。

午後3時34分頃、機体は尾根に衝突し、両翼と尾部が切り離されました。

胴体部分は時速約350kmで氷河を725メートル滑走し、雪の塊に激突して停止しました。

墜落直後に12名が死亡し、5名が行方不明28名が生存していました。

墜落地点は標高3,660メートルのアルゼンチン側アンデス山脈の遠隔地でした。

1972年10月14日〜21日:墜落初期の苦境

墜落翌日には最初の夜を越せなかった5名が死亡しました。

10月15日には3機の航空機を目撃しましたが、発見されませんでした。

持参していたわずかなチョコレートやワインなどの食糧の配給管理が始まり、

10月21日にはスサーナ・パラードさんが死亡し、この時点で生存者は残り22名となりました。

1972年10月22日〜24日:食糧が尽きる

10月22日、配給されていた食糧が完全に尽きました。

医大生のロベルト・カネッサさんが

「亡くなった仲間の遺体を食べることが唯一の生存手段だ」

と主張し、議論の末、生き延びるための決断として遺体を食べることを実行することが決まりました。

10月23日には、ラジオ放送で捜索が中止されたことを知ります。

自分たちで脱出するしかないと決意した瞬間でした。

翌24日には行方不明となっていた5名の遺体が発見されました。

1972年10月29日:雪崩が直撃

機体の残骸をシェルターにしていた生存者たちに雪崩が襲いかかりました。

マルセロ・ペレスさんら8名が死亡し、生存者は19名に減少しました。

雪崩で機体の残骸が雪に埋め尽くされ、遺体という名の食料が激減し、状況はさらに絶望的となりました。

1972年11月:厳冬期のサバイバル

11月15日にアルトゥーロ・ノゲイラさんが死亡しました。

同日、4名の遠征隊が助けを求めて谷へ向かいましたが、途中で引き返しました。

しかしこのとき、墜落機の尾部を発見し、少量の食料と薬が見つかりました。

11月18日にはラファエル・エチャバレンさんが死亡しました。

1972年12月12日:最終遠征の出発

12月11日にヌマ・トゥルカッティさんが死亡し、生存者は残り16名となりました。

12月12日、
ナンド・パラードさん、
ロベルト・カネッサさん、
アントニオ・ヴィジンティンさん

の3名が救助を求めて最終遠征に出発しました。

飛行機の断熱材や衣服の切れ端で縫製した寝袋を持ち、出発しましたが、

10日間の旅に対してわずか3日分の食糧しか持っていなかったと言われています。

1972年12月15日:ヴィジンティンが帰還

ヴィジンティンさんは食糧を2人に預け、金属製の座席枠をソリの代わりにして1時間で機体へ帰還しました。

パラードさんとカネッサさんの2名は遠征を続けました。

1972年12月17日:山頂に到達

パラードさんとカネッサさんは山頂に到達しました。

チリ側の緑の谷を期待しましたが、見えたのは雪のない2つの山でした。

それがアンデスの端であると判断し、その方向へ進みました。

1972年12月20日:牧童と遭遇

出発から9日間ハイキングを続けた末、チリのロス・マイテネス村で牧童のセルヒオ・カタルダンさんら3名と遭遇しました。

川に沿って谷へ降りてようやく人と接触できました。

12月21日に牧童たちが再び現れ、メモを投げてやり取りし、当局に通報しました。

パラードさんとカネッサさんはこの日救助されました。

1972年12月22日・23日:全員救助

12月22日、チリ空軍のヘリコプター2機が墜落現場へ向かい、第一次救助として14名が救出されました。

悪天候のため残り8名の救助は翌日に延期となりました。

12月23日、第二次救助で残りの8名全員が救助され、合計16名の生還が確認されました。

墜落から72日目のことでした。

映画『雪山の絆』と実話の違い

項目映画での描写実際の事実
メンドーサでの一泊この停留が省略されている天候不良のため、アルゼンチンのメンドーサで一泊した
副操縦士の最期混乱した様子で「クリアした(通過した)」と言う描写乗客に銃を取り出して自分を撃ち殺してほしいと懇願したと言われている
ヌマ・トゥルカッティさんの怪我コックピットの窓を蹴破った際に負傷する描写暗い機内で誰かにふくらはぎを踏まれたことによる負傷
遠征の食糧十分な食糧があるような描写10日間の旅に対してわずか3日分の食糧しか持っていなかった
救助のプロセス全員が一斉に救助されたような描写ヘリコプターの積載制限により、2日間に分けて救助された(12月22日に14名、12月23日に8名)

副操縦士の最期は映画と違う

実際の副操縦士ダンテ・ラグララさんは、墜落後に重傷を負い、乗客に対して

「銃を取り出して自分を撃ち殺してほしい」

と懇願したと言われています。

映画では「クリアした(通過した)」と混乱した様子で言う描写に変更されています。

救助は2日間に分けて実施された

映画では全員が一斉に救助されたような描写になっていますが、実際にはヘリコプターの積載制限のため、

12月22日に14名、12月23日に8名と、2日間に分けて救助が行われました。

人肉食の決断描写は「芸術的な表現」

生存者の一人であるロベルト・カネッサさんは、映画における

「亡くなった仲間の遺体を食べるかどうか」

という決断の議論の描写について、実際の経緯を「芸術的」に表現したバージョンであるとインタビューで語っています。

映画はドラマとしての演出を加えながらも、本質的な部分は忠実に描かれています。

生存者のその後

2024年時点で、16名の生存者のうち14名が存命です。

ハビエル・メトルさんは2015年に癌で死去し、ホセ・ルイス・インシアルテさんは2023年に癌で亡くなりました。

生存者たちは毎年12月22日(最初の救助が行われた日)に再会を続けているそうです。

ロベルト・カネッサさんは医師として活躍し、映画の制作にも深く関わりました。

ナンド・パラードさんは実業家としてウルグアイで活動しており、世界各地で講演活動も行っています。

映画『雪山の絆』が伝えたかったこと

この事故は「アンデスの奇跡」と呼ばれ、人間の生存能力と極限状態における倫理的選択の問題として、世界中で議論を巻き起こしました。

72日間の生存を可能にした要因として、

  • ラグビー選手としての若さと体力
  • 2名の医大生がいたこと
  • 「One for all, all for one」の精神でのチームワーク
  • 自分たちの状況を笑い飛ばすこと

これらが、生き続けるために重要だったということが挙げられています。

1993年のハリウッド映画『Alive』(邦題:生きてこそ)と比較して、『雪山の絆』はウルグアイのキャストを起用し、

文化的なニュアンスや言語の正確性を重視した点で高く評価されています。

また、実際の生存者たちがエキストラとして出演しており、モンテビデオでのシーンなどに登場しています。

まとめと人気の実話解説記事

  • 映画『雪山の絆』は1972年に起きたウルグアイ空軍機571便遭難事故を元ネタにした実話作品だった
  • 乗員乗客45名のうち29名が死亡し、16名が72日間のサバイバルを経て生還した
  • 映画は全体として実話に忠実だが、副操縦士の最期や救助のプロセスなどの細部に演出上の変更がある
  • 生存者や遺族が実名の使用を許可した初めての映画化作品であり、生存者自身もエキストラとして出演している
  • 2024年時点で16名の生存者のうち14名が存命で、毎年12月22日に再会していると言われている
  • 72日間の生存の鍵となったのは若さと体力、医療知識、チームワーク、そして強い精神力だった

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