映画『ペイ・フォワード 可能の王国』は、12歳の少年が考えた
「受けた親切を3人の別の人に渡す」というアイデアが、世界中に波紋のように広がっていく様子を描いた作品です。
この記事では、
- 『ペイ・フォワード 可能の王国』が実話かどうか
- 原作者キャサリン・ライアン・ハイドさんが実際に体験した出来事
- 映画と原作小説の主な違い
- キャスティングを巡って起きた論争
- 現実世界に広がったペイ・フォワード運動
こちらを解説していきます。
『ペイ・フォワード 可能の王国』は実話ではない
結論から言うと、映画『ペイ・フォワード 可能の王国』は実話ではありません。
主人公の12歳の少年トレバー・マッキニーは実在の人物ではなく、物語は原作者のキャサリン・ライアン・ハイドさんが書いた完全なフィクションです。
ただし、物語の核心にある「受けた親切を別の人へ渡す」というアイデアは、
ハイドさんが1990年代初頭に実際に経験したある出来事から生まれたものです。
そして、この映画がきっかけで「国際ペイ・フォワード・デー」という慈善活動が始まっています。
深夜のロサンゼルスで車が炎上し、見知らぬ2人の男性に命を救われたというハイドさんの実体験が、この映画の作られるきっかけとなっています。
映画は2000年10月に全米で公開され、
監督はテレビドラマ『ER緊急救命室』で知られるミミ・レダーさん、
主演には
ケヴィン・スペイシーさん、
ヘレン・ハントさん、
ハーレイ・ジョエル・オスメントさん
が名を連ねました。
また、「ペイ・フォワード」という概念自体は映画や小説のために生み出されたものではなく、はるか昔から存在してきた思想です。
1916年にリリー・ハーディ・ハモンドさんが著書の中で
「愛は返すものではなく、前へ送るものだ」
と記したことで、このフレーズが公式に使われ始めたとされています。
キャサリン・ライアン・ハイドとはどんな人物か
映画の原作小説を書いたキャサリン・ライアン・ハイドさんは、アメリカの小説家です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | キャサリン・ライアン・ハイド(Catherine Ryan Hyde) |
| 国籍 | アメリカ |
| 職業 | 小説家 |
| 代表作 | 『ペイ・フォワード』(1999年) |
| 著作数 | 50冊近くの小説を発表 |
| 設立した財団 | ペイ・フォワード財団(2000年) |
ハイドさんはニューヨーク州バッファローからロサンゼルスへ移住し、
ベーカリーなどの仕事を転々としながら不遇の下積み時代を過ごしていた人物です。
そんな苦しい生活の中で経験した一夜の出来事が、後に世界的なベストセラーと社会運動の火種となるのです。
原作者が実際に経験した出来事を時系列で解説
1990年代初頭:深夜のロサンゼルスで車が炎上
当時のハイドさんが乗っていたのは、経済的な苦しさからかろうじて購入できた古い「ダットサン1200」でした。
ある深夜、治安の悪いことで知られるロサンゼルスのダウンタウン付近を走行中、
高速道路のオフランプを降りてブレーキを踏んだ瞬間、エンジンが止まり、すべての電源が落ちました。
車内にはあっという間に激しい煙が充満し、パニックに陥ったハイドさんは車外へ飛び出したのです。
暗闇の中から2人の見知らぬ男性がこちらへ向かって全力で走ってくるのを見たハイドさんは、
「自分はここで殺される」
と直感したといいます。
しかし2人の男性は彼女を素通りし、躊躇なくダットサンの熱いボンネットをこじ開けました。
エンジンのスロットルラインに沿って炎が上がり、いつ爆発してもおかしくない極限状態の中、
彼らは手にした毛布で命がけの消火活動をおこなったのです。
やがて別の通行人の通報で消防隊が到着したときには、すでに2人によって火は完全に消し止められていました。
混乱から立ち直ったハイドさんが感謝を伝えようと振り返ると、2人はすでに夜の闇へと姿を消していたのです。
恩人への感謝を直接伝えられなかったハイドさんは、この「恩を返す相手がいない」という経験から、
社会に恩を還元するために道で困っている人を積極的に助ける実践をはじめました。
そしてこの体験が、後に12歳の少年が「受けた親切を3人の他者に前送りする」ということへと昇華されることになります。
1991年1月:解雇、そして小説執筆のスタート
1991年1月、ハイドさんはカリフォルニア州カンブリアのベーカリーを解雇されます。
失業中のどん底状態の中で、ハイドさんは小説の執筆をスタートさせました。
後にプロデューサーのジョナサン・トライスマンさんがその原稿を読んで涙を流したと伝えられており、
出版・映画化への道が一気に開いていくことになります。
1999年1月:全米ベストセラーとなった小説の誕生
1999年1月、小説『ペイ・フォワード』がサイモン&シュスター社から出版され、全米ベストセラーへと躍り出ました。
映画化権はワーナー・ブラザースがほぼ同時に取得。
当時のハイドさんは下痢を患う小さなポメラニアンの世話をしながらハウスシッターをしていた最中に、
人生を変える契約が成立したというエピソードが残っています。
2000年10月:映画公開とペイ・フォワード財団の設立
2000年10月、映画『ペイ・フォワード 可能の王国』が全米で劇場公開されます。
同じ年、ハイドさんは自ら「ペイ・フォワード財団」を設立し、2009年まで会長を務めました。
この財団はその後、ある銀行とのパートナーシップで親切の仕組みを通じて1100万ドルもの資金を調達し、
100カ国以上で120万本以上の「ペイ・フォワード・ブレスレット」を普及させるほどの規模へと成長しています。
映画『ペイ・フォワード』と原作小説の違い
映画版はエンターテインメントとしての完成度を高めるため、原作小説の設定や登場人物に大きな変更を加えています。
| 項目 | 原作小説(1999年) | 原作小説(1999年) |
|---|---|---|
| 物語の舞台 | カリフォルニア州アタスカデロ | ネバダ州ラスベガス |
| 社会科教師の人種 | アフリカ系アメリカ人(ルーベン・セント・クレア) | 白人(ユージーン・シモネット、演:ケヴィン・スペイシー) |
| 教師の傷の原因 | ベトナム戦争でのナパーム弾による戦傷 | 幼少期に虐待的な父親に灯油をかけられ放火された傷 |
| 主人公トレバーの人種 | 有色人種のミックスの背景を持つ少年 | 白人の少年(演:ハーレイ・ジョエル・オスメント) |
| 父親の描写 | 母親にトラックの保証人をさせ事故後に逃亡した男 | 突然帰省して暴力を振るう家庭内暴力の加害者(演:ジョン・ボン・ジョヴィ) |
| 物語のスケール | 全米に広がり、大統領と面会するほどの国民的ヒーローに | ラスベガス周辺の機能不全家族の再生という個人的な物語に絞られる |
教師のキャラクターが白人に変更されている
原作小説の指導教師ルーベン・セント・クレアは、アフリカ系アメリカ人のベトナム帰還兵として描かれた人物です。
彼の存在はアメリカの黒人退役軍人が抱える社会的孤立を示すものとして、原作の重要な要素のひとつでした。
映画版では教師の人種が白人に変更され、傷の原因もベトナム戦争から幼少期の父親による虐待へと書き換えられています。
物語のスケールが大幅に縮小されている
原作小説では、トレバーのアイデアは全米の刑務所の犯罪率低下という意外な形で社会に浮かび上がり、
最終的にトレバーはホワイトハウスで大統領と面会するほどの国民的ヒーローとなります。
一方の映画版では大統領との面会や刑務所のプロットは完全にカットされ、舞台はラスベガスという一都市の中に絞り込まれています。
映画が描くのは「家族と自己救済」という個人的な円の中での物語で、
社会全体への広がりよりも身近な人間関係の修復に焦点を当てた内容となっているのです。
キャスティングを巡って起きた論争
映画版のキャスティングは、公開当時のアメリカメディアでいわゆる「ホワイトウォッシング」として論争を巻き起こしました。
映画制作の初期段階で、アフリカ系アメリカ人の教師ルーベン役はデンゼル・ワシントンさんに打診されていました。
しかしワシントンさんが映画『タイタンズを忘れない』への出演を優先して辞退したため、
制作陣はほかのアフリカ系俳優を探すのではなく、キャラクター自体を白人に書き換えてケヴィン・スペイシーさんを起用したのです。
批評家たちは、トレバーの人種変更に加え、
原作にいた同性愛者・トランスジェンダー・肥満体・先住民族など社会的に周縁化された人々の物語が映画化の過程でことごとく排除されたことも指摘しました。
ハイドさん自身も、公式ブログに複雑な心境を率直に書いています。
「もし私が一人でこの映画を作っていたなら、ルーベン・セント・クレアはアフリカ系アメリカ人のまま登場したでしょう。
すべての同性愛者、トランスジェンダー、あるいはマイノリティのキャラクターたちが、
ハリウッドの『魔法』によって痩せた白人のストレートに置き換えられたり、
完全に消え去ったりすることはなかったはずです」
その一方でハイドさんは、5000万ドルもの資金が動く映画制作の現場で原作者が完全なコントロールを持つことの難しさも理解していました。
そして映画による知名度向上と収入が、その後50冊近くの小説を書き続ける経済的な基盤になったことを認めているのです。
現実世界に広がったペイ・フォワードの輪
映画と原作小説が現実社会に与えた最も大きな影響は、
物語の中のアイデアが実際に機能する組織や国際的な記念日として世界中に実装されたことです。
トレバーが提唱したシステムは、親切を受けた人がそれぞれ新たに3人へ善意をつないでいく数学的なモデルに基づいています。
1人からスタートした親切は第5世代で243人、第10世代には59,049人へと指数関数的に広がる計算になります。
この数理的な発想が、冷淡になりがちな現代社会を草の根から変えるアイデアとして実際の活動に取り込まれていったのです。
世界70カ国に広がる「国際ペイ・フォワード・デー」
2007年、オーストラリアのブレイク・ビーティさんが
毎年4月28日を「国際ペイ・フォワード・デー」として制定し、現在では約70カ国で500万件以上の親切行為が生まれる日となっています。
がん患者を支援する「Pay It Forward Fund」
2005年にはミネソタ州で、乳がんサバイバーのミシェル・モリーさんとスコット・ビッセンさん夫妻が「Pay It Forward Fund」を設立しました。
この基金は治療費や水道光熱費の支払いに困るがん患者の請求書を直接100%肩代わりするという、非常に具体的な支援活動をおこなっています。
善意の移動を可視化する「ニュートン・プロジェクト」
2012年に設立された「ニュートン・プロジェクト」は、
個別のIDが振られたリストバンドを使って親切行為が世界中をどのように移動したかを追跡・可視化するユニークな取り組みです。
目に見えない善意の連鎖を数字とデータとして記録するという、現代的なアプローチで注目を集めています。
まとめと人気の実話解説記事
- 『ペイ・フォワード 可能の王国』は原作者ハイドさんが書いた完全なフィクションで、実話ではない
- 物語の核心にある「善意の前送り」アイデアは、ハイドさんが深夜のロサンゼルスで車両火災に遭い見知らぬ2人に命を救われた実体験から生まれたものだった
- 映画版では原作小説の教師が白人キャラクターに変更されており、キャスティングを巡る論争を引き起こした
- 物語のスケールも大幅に縮小され、全米・大統領面会という原作の展開が、ラスベガスの家族再生という個人的な物語に作り替えられている
- 映画公開と同年(2000年)にハイドさんはペイ・フォワード財団を設立し、現在は世界70カ国以上に活動が広がっている
- 毎年4月28日は「国際ペイ・フォワード・デー」として約70カ国で500万件以上の親切行為が生まれる日となっている