『火垂るの墓』は、スタジオジブリの中でも特に「実話なのでは?」と語られる作品です。
結論からいうと、『火垂るの墓』は原作者・野坂昭如さんの実体験をもとにした半自伝的小説です。
ただし、実際の出来事をそのまま描いたのではなく、原作者・野坂昭如さんが抱え続けた罪悪感や後悔を込めて作られたフィクションでもあります。
『火垂るの墓』は実話をもとにした半自伝的小説が原作
『火垂るの墓』はジブリ映画の印象がかなり強いですが、
原作は1967年10月に発表された短編小説です。
翌年、『火垂るの墓』の小説は『アメリカひじき』とともに直木賞を受賞しました。
物語の中心となっているのは、野坂昭如さんが14歳のときに体験した戦争と、幼い妹の死です。
野坂さん自身は後年、『火垂るの墓』について
いかにも自分の体験に基づいているが如く文字を連ね、大嘘である
と語っています。
これは作品が完全な創作という意味ではなく、現実を美化して自分の願望を込めた物語であるという意味です。
『火垂るの墓』の実話の内容
前提として、『火垂るの墓』に登場する清太と節子は、
- 原作者・野坂さん → 清太
- 妹・恵子 → 節子
ということを前提にご覧ください。
野坂昭如の生い立ち
野坂昭如さんは1930年10月10日、神奈川県鎌倉市で生まれました。
生後2〜3か月で実母を亡くし、生後半年で養子として迎えられます。
養父は石油関連の貿易会社の役員だったので、家庭は裕福でした。
野坂さんは11歳のときに戸籍謄本を見て、自分が養子であることを知りました。
1941年には紀久子、1944年には恵子という2人の養女が家族に加わりました。
このうち、下の妹・恵子が『火垂るの墓』の節子のモデルとなった人物です。
1945年6月5日 神戸大空襲
1945年6月5日、14歳の野坂昭如さんは神戸大空襲を経験しました。
養父は焼死し、養母は重傷を負い、野坂さんと妹の恵子は生き延びました。
野坂さんは空襲の恐怖のあまり、防空頭巾と鉄兜の上からバケツまで頭にかぶったと語っています。
自宅が炎上する中、「お父さん、お母さん」と呼んでも返事はなく、六甲山の方向へ無我夢中で走ったと言っています。
西宮の親戚の家での生活
空襲後、野坂さんは妹を連れて西宮の親戚の家へ身を寄せました。
映画では叔母に冷たく扱われますが、実際には親戚との関係は良好だったとされています。
しかし、食料事情は深刻で、野坂さんは
「ダシ大豆のカラ」しか食べるものがなかった
というくらい、まともな食事にありつけない状態が続いたと語っています。
福井県への疎開
1945年8月1日、野坂さんは妹とともに疎開しました。
頼り先の娘さんに会った時、野坂さんを見た娘さんは顔色が変わります。
この時、野坂さんは全身に小さなダニが皮膚に寄生し、激しい痒みを引き起こす感染症が起きていました。
さらに、焼け出されてボロボロだったことも相まって、野坂さんは自分でも「異形の難民のようだった」と語っています。
8月15日に戦争の降伏宣言がされた放送を聞いたとき、最初に感じたのは「これで空襲がない」という安心の感情だったそうです。
妹・恵子の死
敗戦から1週間後の1945年8月21日〜22日に、妹の恵子は栄養失調で亡くなりました。
当時、恵子は1歳6か月前後でした。
野坂さんは妹の看病をおろそかにしたことが多々あったと言っており、
- 水の多いお粥を作り、沈んだ米粒を自分が食べ、上澄みだけを妹に与えていた
- 畑から盗んだトマトや、近所の人がくれた水飴を、自分で食べてしまった
- 泣きやまない妹に対し、尻を叩いたり、拳で頭を殴った
このようなこともあったそうです。
殴ったときに妹が大人しくなったので野坂さんは眠ったと思っていましたが、
後に医師から、妹の恵子は暴力が原因の脳震盪だった可能性があると聞き、野坂さんは大きな衝撃を受けました。
妹の火葬とドロップの缶
野坂さんは妹の遺体をリアカーに乗せて火葬場まで運びました。
服を脱がされた妹の体は、骨と皮だけになっていたといいます。
妹を火葬するときには涙は出ず、「荷物を降ろしたような感じだった」と感じるまでんに感情が不安定になっていました。
遺骨を缶に入れて持ち歩いた
その後、遺骨を缶に入れて持ち歩きました。
『火垂るの墓』の作中ではドロップの缶に遺骨を入れたのが有名ですが、実際には胃腸薬「アイフ」の缶だったという証言もあります。
いずれにしても、缶に遺骨を入れていたというものは、実体験に基づいている可能性が高いです。
戦後の守口での生活
1945年9月、野坂さんは大阪府守口市へ移りました。
約2年間、焼け跡と闇市の中で生活します。
中学に通いながら、
- 怪しい新聞社の広告取り
- 米兵相手の風俗の客引き
のような仕事にも関わったと言っています。
『火垂るの墓』と実話の違い
| 実話 | 火垂るの墓 | |
|---|---|---|
| 妹の年齢 | 1歳4か月〜1歳6か月 | 4歳 |
| 妹の名前 | 恵子 | 節子 |
| 兄の性格 | 泣き止まない妹を殴ったり、 食事を自分優先にした | 妹に献身的で優しく世話をする |
| 親戚との関係 | 良好で親切だった | 冷たく厄介者扱い |
| 母親の運命 | 重症を負いながら生きていた | 空襲でやけどを負い、死亡 |
| 父親の設定 | 石油関連の貿易会社の役員 | 海軍大佐 |
| 血縁関係 | 野坂さんと妹は養子 | 血縁関係である |
原作者・野坂昭如さんが「火垂るの墓は大嘘」と語った理由
野坂さんは、「清太ほどに妹をかわいがってやればよかった」と言っています。
つまり、清太は「こうありたかった自分」の姿でもありました。
『火垂るの墓』は戦争体験を描いた作品であると同時に、野坂さん自身の罪滅ぼしの物語でもあります。
現実の自分の弱さや後悔を、小説の中で優しい兄の姿に置き換えたのです。
まとめと人気の実話解説記事
- 『火垂るの墓』は原作者・野坂さんの実体験をもとにした半自伝的小説
- モデルとなった妹・恵子は1歳6か月前後で栄養失調により死去
- 野坂さんは食べ物を自分優先にし、妹に十分な食べ物を与えられなかったことを生涯後悔していた
- 作品の清太は、野坂さんが「こうありたかった」と願った理想の兄の姿
- 叔母との関係や両親、妹への態度などの設定には大きな脚色がある
- 『火垂るの墓』は戦争体験と原作者の罪滅ぼしの思いが重なって生まれた作品